『バス停と女と女の子』



「ねぇ、暑くない?」

 長い間、撤去もされずに放置されたバス停があった。時刻表つきの小型標識はいつ倒れてもおかしくないくらいボロボロに錆びていて、道路のはしに取り残されていた。

 全ての水が蒸発してしまいそうなほど暑い日が続いていた。外の日差しは強く、長くいればそのまま溶けてしまいそうだ。
 そんな中、ひとりの女がバス停に姿を現した。長く黒い髪を腰まで垂らし、手首をだらんとさせている。顔は髪に覆われていて表情は見えない。白いワンピースは地面に着きそうなほど長かった。女は暑い中、ひとりジッと立っていた。

 女が姿を見せてから何日か経った頃、ひとりの少女が近づいた。髪は茶色く肩くらいの長さで、目は丸く、年は8つくらい。右手に白いビニール袋を持っている。少女は女の顔を覗き込んだが、髪が邪魔をして顔は見えない。

「暑くないの?」

 少女の声に女は全く反応しない。聞こえていないのかと少女はもう一度

「アイス食べる?」

 と、大きな声で違うことを言ってみた。女は変わらず、体ひとつ動かない。

「じゃあこれわたしひとりで食べるか」

 少女はビニール袋からアイスを取り出すとその場で食べ始めた。

 少女が手にしているのはコンビニでよく見かける白いソフトクリーム。プラスチックのケースにそのままの形で収まっている。
 少女が透明なフタを開けると、ソフトクリームは少し溶けていた。少女は慌ててコーンにつきそうなソフトクリームをひとなめすると、そのあとはあっという間に、小さな口からは想像もつかないくらい口を大きく開けてぺろりと食べてしまった。
 女はその間も無反応で立っていた。

「美味しかったー!」

 少女はひとり満足そうにすると、女に話しかけた。

「あ、でもね、アイスにちょっとしょっぱいお菓子つけて食べるのも美味しいんだよ。今度ためしてみてよ」

 少女はご機嫌な様子で女のまわりを回り始めた。スキップしたり歩いたり。女の服や髪を触ってみたりした。どちらもサラサラとなめらかな触り心地で、少女は気持ちが良さそうだった。
 少女は女の正面に立ち、長い髪を両手で分けると、自分の頭を中へいれて下から女の顔を覗き込んだ。しかし首から上は真っ暗で女の顔は見えなかった。少女は残念そうに頭を出した。

「わたしね、バスの中からお姉ちゃんのことずっと見てた。でも、みんなに聞いてもそんな人はいないって言うから。変だなって、絶対いるのにって思ってたの」

 少女は明るく女に笑いかけた。

「だからこうして話せてうれしい!」

 女は変わらず立ったまま動こうとしない。

「きょうは少し早めにバスから降ろしてもらったの。近くにおばあちゃんちがあるからだいじょうぶ」

 そう言って女の前でくるりと回った。

「でもそろそろお母さんが迎えにくるから行かなきゃ。またね!」

 少女は女に手をふると、足早に去っていった。

 どこまでも青空が広がり、太陽が照り続けている。残暑はとうに過ぎたのに、一向に夏が去る気配はない。


 女の形が変わった。まるで体育座りのように膝を抱えまるくなっている。相変わらず顔は髪で覆われ、じっと動かない。
 次に少女がきたのは日曜日。朝から大きな帽子とリュックを背負ってやってきた。リュックの中身は麦茶の入った水筒に日傘、タオルとお菓子、子ども用レジャーシート…。

「良かった。まだいた」

 少女は女に向かって勢いよく走り

「暑いよね~いつ秋になるんだろうねぇ」

 相変わらず無言の女に話しかけた。少女はレジャーシートを女のとなりに敷き、日傘をひろげた。日傘は少女の姿がすっぽり隠れてしまうくらい大きかった。少女はひろげた日傘を女の上にさし手元のハンドルを地面に置いてバランスよく日傘を立てかけた。女のいない空いてる片側へ少女は入り、

「これで少しは涼しくなるね」

 とリュックの中から水筒を取り出した。

「こんなに暑い日が続くと思わなかったから、むぎちゃがお店にないんだって」

 そして水筒のコップに麦茶をそそぐと

「いる?」

 少し間を置いてから、少女は麦茶を一気に飲んだ。だいぶ喉が渇いていたようで「はーーおいしーー」と気持ちよさそうに笑った。そのとき

『…ぃてかれた』

 女が声を出した。声というにはあまりにも小さい音だったが、それは確かに女の声だった。少女は右手にコップを持ったまま動きが止まり、目だけを少し動かして女の方を見た。

「………しゃべった?」

 今度は勢いよく女の方を向いて

「ごめん!もういちど言って!」

 と女に向かって叫んだ。その声に反応してか、初めて女が少女の方に頭を動かした。相変わらず髪に隠されて表情は見えない。ずっと鳴いていたセミの声も聞こえてこないくらいにその場は静まり返った。女は

『ひ、ひゃあぁぁあぁああ』

 叫んだ。

「えええ!?」

 少女も驚いて叫んだ。

『帰らなきゃいけないのに…バス…いっちゃって…なんで…』

 ずっと黙っていたのが嘘のように女は声を上げて泣きはじめた。丸めた体をさらに縮こませ、震えている。少女は「だいじょうぶ?」と女の背中をさすった。

『うぇぇ…』
「ここバスこないよ。お姉ちゃん場所間違えてない?」
『間違えてない…ここからきて、ここから帰るはずだった……』
「そうなんだー」

 少女は気の抜けたような返事をすると

「お菓子たべる?」

 2個ずつ梱包されたクッキーを取り出すと女に勧めた。女の顔は見えないが、顔を横に振ったような気がした少女は、ひとりでクッキーを食べ始めた。

「どこに帰るの?」
『ここじゃないところ』
「むずかしいよー!ヒント!ヒント!」
『しんだらいくところ』
「しんだあとどっかいくの?」

 少女の質問に女は答えなかった。少女は不思議そうにすると

「うちのおばあちゃん、死んだけれど今もおばあちゃんちにいるよ」

 とクッキーを口に入れながら話した。

『……え?』

 少女から出た言葉は女も予想していなかったようで、驚いたような声が出た。先ほどの涙声よりも少し低い声だった。

 少女の話によると、少女の祖母は夏に入る前、まだ寒さを感じる頃に病で他界した。お通夜と葬儀が終わり、その日は祖母の家で寝た。少女はなかなか眠れなかったので、縁側に座り月を見ていた。すると少女の横に祖母が現れて

『今日はお泊まり。おばあちゃん嬉しいわぁ』

 と話したという。それから祖母の家を訪ねては、お菓子をもらったりおしゃべりをして過ごし、しばらくすると母が迎えにくるという。

「最初はお母さんに言うとおこったけどね。今はおこらないよ」

 少女はお菓子を食べ麦茶を飲み、日傘の下で悠々と過ごしていた。いつの間にか女は泣き止み、少女の方を向いていた。少女が新しいお菓子の袋をリュックから取り出したとき女が

『しんだこと、分かってるの……』

 と消えそうな声で呟き、「おばあちゃんのこと?」と少女は返した。女がうなづいたように見えたので

「言ったよ。"おばあちゃんしんだのに生きてる"って。そしたら『そうよ~』って笑ってた」

 少女はそう言うと「ソーダ飲みたくなってきた」と麦茶を飲んだ。

「お姉ちゃんは帰れないとこまる?」
『こまる』
「おばあちゃんもこまるかな」
『わたしが帰らないと…夏も帰らない……』
「へーー どういうこと?」
『ずっと暑いまま…』
「夏が帰らないと…帰らないと…秋は?こない?冬も?」
『そう…』
「さつまいも!栗、肉まんは!?」
『知らない…』
「困るのわたし!?」

 少女は突然落ち着きがないようすで騒ぎはじめた。女はその勢いにおされ、丸まっていた背中が少しのびた。

『お、おち、落ち着いて……』
「どうすればいい?バス呼んでくる!?」

 女は慌てる少女の肩に、白く細い手を乗せてなぐさめながら、帰る方法を思い出そうと自分の記憶を探った。

年に一度、死んだ場所へかえりひと夏を過ごす
自分たちが行くことで暑い夏も少しは涼しくなるようだ
もっとも今の体になってからは血の通った温度を感じたことはない
切符を持ち、指定の時間にバスに乗る

それで、ええと、ここはどこだっけ

この場所にきたときの記憶が薄いもやに覆われていて思い出せない
ただ気づいたら隣に少女がいて、話しかけてきたのが怖かった
少女には死んだ祖母がいて
その祖母はまだここにとどまっているらしい
自分と同じく置いてかれたのか…とも違うようだ

 女がここにくるまでの経緯を思い出そうと回想しているあいだ、少女も同じように考え込んでいた。

「どうやってバス呼べばいいのかな?おとうさんの知り合いに運転手さんいたはずだけれど……。どこまで行けるかきいてみようかな」
『そのままいるのは、へん…』

 少女はキョトンとした顔で女の言葉に反応した。それは少女にも分かっていたようで

「じつはね、変だなって思ってた。最近出してくれるお菓子、ほとんどカビだらけで、食べられないものばかりで」

 少女が断ると笑うだけで、会うたびに同じことの繰り返しだったという。そして少女は断るのをやめ、食べずに受けとって帰ることが増えた。

『ちゃんと言ったほうが、いいと思う…』
「ちゃんと…」
『いっしょには、いられないと』

 少女は静かになった。女のもとへ来るようになってから初めて見せる姿だった。女の声は小さく消えそうだったが、最後の言葉だけは少女の耳から真っ直ぐ体の中心へ届いたようで、少女は小さくうなづいた。

 毎日、厳しい日光が空の上から降り注ぐ中、女は変わらずバス停の横に丸くなっていた。唯一違うのは、大きな日傘の中にいるということ。少女は日傘を置いていきその場を離れてから数日が経った。日傘は地面に広げられたまま、まるで地面に根づいているかのように風が吹いてもびくともしなかった。

 しばらくすると少女が小さな足を大きく広げて、女のもとへ走ってきた。元気そうな笑顔を浮かべて

「良かった!まだいた!」

 と女に声をかけた。女は変わらず無反応で日傘の下で静かにしている。

「おばあちゃんに言ったよ!そしたらね」

 少女は微動だにしない女にかまわず話し始めた。祖母は家の中でいつもと同じようにカビだらけのお菓子を用意して少女のことを待っていた。少女は女に言われたことを思い出し、祖母に自分の気持ちを伝えることにした。

「おばあちゃんごめん!もうおばあちゃんからのお菓子食べられない」
『えぇ、どうして?』
「だってくさってる!わかる?」
『そぅ?』
「おばあちゃん、もういっしょにはいられないんだって」

 少女が意を決して話すと、祖母は残念そうな顔をしながら

『そうね~。そうよねぇ』

 とつぶやくように答えた。その様子に少し悲しい気持ちになりながら、少女は自分の気持ちが初めて伝わったようで嬉しくなった。そして悲しい気持ちをグッとおさえ、祖母に向かってはつらつとした大きな声を出した。

「来年!来年また会えるよって言ってた!おばあちゃんのこと待ってるから」

 すると祖母は嬉しそうな顔で笑い

『そぅ?じゃあ…お土産たくさん買ってこないとねぇ』

 と祖母はのんびりとした雰囲気に戻ると笑顔のまま消えていった。

 少女が話終えると、女はゆっくりと向きを変え、小さな声で少女に言った。

『もうすぐ、迎えのバスがくる……』
「うん」
『ひとつお願い、聞いて……』

 女は少女に頼みごとをすると、祖母と同じように静かに姿を消した。





 車通りの少ない山沿いの道に、古びたバス停があった。いつ倒れてもおかしくないほどボロボロで至る所が錆びていた。車も人も、誰もあることすら気づかずに通り過ぎていく。
ある日、2人組の町の職員がトラックに乗ってやってきた。バス停を見つけるとまわりの雑草を抜き、壊れかけたパーツを外し、そのままトラックの荷台に乗せると速やかに去っていった。

 女が消えバス停がなくなってから、今までの暑さがうそのように町は涼しくなった。少女はスクールバスの中からバス停と女がいた場所を眺め

「らいねん、また会えるかな」

 とつぶやいた。


戻る


© 2020 ダーナの花