はじめての夏祭り

 舞台の役を引き受けることになったちはる。(画像クリックで拡大)


 ちはるはお風呂あがりに梓から渡された台本を開いた。「一人の女の子が大蛇を倒した」というあらまししかちはるは知らなかったので、詳細を知るのは初めてだった。

『昔、村に田畑や牛・馬などの畜産を食べてしまう大きな蛇がいて村人たちを困らせていた。一人の少女が「このままではこの村がなくなってしまう」と立ち上がり、村人たちの助けをかりて蛇を追い詰めた。少女と対峙した蛇はたちまち大きくなり、少女を飲み込もうとしたが、少女は蛇に力強く竹やりを投げて突き刺した。蛇はのたうちまわり倒れ、その隙をついて少女は蛇の目に斧を振り下ろした。ヘビはそのまま動かなくなり、風に吹かれて消えてしまった』

「これをやるの…?」

 ちはるの想像をはるかに超える激しい戦いに冷や汗が出そうになった。そもそもお話を知るだけなら、図書館や本屋で調べることもできた。なにも舞台に出ることはなかったんだ…と少し前の自分を思い出しては、後悔が押し寄せてきた。

「どうして『やってみる』なんて言っちゃったんだろう」

 ただ嬉しそうな梓の顔を思い出すと、少しだけ胸の奥が温かくなるような気がして、ちはるの中の後悔の波はさほど大きくはならなかった。





 練習前の顔合わせのため、梓に連れられてちはるは公民館へ向かった。 集まっている人々は10代〜50代と幅広く、ほとんどの人が梓の顔なじみで今回の初めての参加者はちはるだけだった。ちはるは少し肩身が狭い思いをしながら、部屋の中に入るのをためらっていると、それを見た梓が「入らないの?」と声をかけた。ちはるは梓の声に引き寄せられるように、部屋の中に足を踏み入れた。

 部屋の中は舞台で使われる道具がたくさん出されていた。小道具や衣装は歴代のものを使い、修理が必要なものは直したり買い足して使用しているらしい。梓の入る蛇の着ぐるみはボロボロでいたるところに修繕の跡があった。



「これが一番大変」
「梓、中に入ると別人みたいに暴れるから」
「ついね〜」
「ついじゃない」

 和気あいあいと話す梓の横でちはるは勇気を出して話しかけた。

「あの、台本読みましたけれど、結構激しいですね」
「あ、本当に刺したりしないから!子供泣いちゃうかもしれないし」
「そうだよね」

 初対面でも陽気な言葉が返ってきたのでちはるは安心した。梓はというと

「でも目玉ポーンって飛ぶよ」
「なんで!?」
「刺したはずみでぽろっと」
「えぇ…」

 若干引き気味なちはるを見て梓は笑った。そうして話しているうちに次第とちはるの緊張も解けていった。



 広い部屋の中心に集まり、一人一人自己紹介をすませ、一通り台本の読み合せを始めた。台本を読みながら動きの確認をしていく。毎年のことなので皆、内容が体に染み付いているようであまり時間はかからなかった。あっという間に台本の終盤に差しかかる。最後はほとんど語り部と少女と蛇しか出てこない。

「この土地にはもともと私が住んでいた。私のものを好きにしようと私の勝手だろう!」
「違う!村の畑もみんなで一生懸命作って守ってきたものだ。お前に食わせるためのものではない!」
「少女は力強く竹やりを振りかざし、ヘビへと投げつけました。すると―」

 語り部の声を聞いたその瞬間、ちはるの体は鉛のように重くなり、ぺージをめくることができなくなった。

「(な、なに?)」

突然の出来事にちはるは声も出ず、まるで金縛りにでもあったかのように固まってしまった。

「ちはる?」

 そんな様子のちはるに梓はいち早く気がついて心配そうに声をかけた。

「ごめん、急に進めすぎたね。疲れた?」
「大丈夫…」
「でも顔色良くないよ」

 二人のやり取りを見た周りの人々が「時間もいい頃だし、今日はここまでにしようか」とそのままお開きとなった。梓は申し訳なさそうに

「ごめん」

 と小さな声でつぶやいた。ちはるにはその言葉の意味が分からなかったが、声に出す気力がなく首を横に振った。家に帰っても体の重みは無くならず、そのまま倒れるように眠ってしまった。


制作:2021

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